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雑記帳 |
■ 野菊の如き… ■リンドウと野菊
私が伊藤左千夫の代表作『野菊の墓』を知ったのは中学生の多感なお年頃。しかし,その前に,小学の5〜6年生の時に『野菊の墓』の映画版『野菊の如き君なりき』を観たことがあった。髪の毛とともに記憶も薄れていく今日この頃だが,思い起こすにあれば学校主催の映画鑑賞会であったと思う。映画館で観たのか学校の講堂で観たのか定かではないが。 そのころはまだまだ思春期も向かえておらず,「なんか可哀想な話」ほどの感想しかなかったような気がする。 私が本を読んで初めて泣いたのは『フランダースの犬』を読んだ小学4年生の時だ。なぜ少年ネロと愛犬パトラッシュが死なねばならないのか,どうしても理解できなかった。そのころ「理不尽」という言葉は知らなかったが,そういう気持ちでいたように思う。私は当時絵を描くのが大好きだったこと,そして決して裕福ではない家に生まれ欲しい物もなかなか買ってもらえなかった境遇であったこと,このためにネロ少年と自分自身を同一化してしまったことも涙の一因だっただろう。 その後,読書の対象は「シートン動物記」などの動物ものに移るが,中学生になってから文学書を読むようになった。もっとも,学校の図書館,市の図書館分館にある本に限られたが。 そういう時に出会ったのが,『野菊の墓』だ。「人を恋する」ということがどういうことなのか分かり始めいた多感な年頃だったので涙が止まらず仕方なかった。 おそらく,私の人生において本を読んで涙したのはこの2回限りだろう。それ以降,テレビでたまにこの映画が放送されるたびに観ているような気がする。 話は変わるが, 今年(2004年)の6月から花の同定に興味を抱き勉強中だ。7月に野菊の仲間を撮影したが,野菊の類は同定初心者には歯が立たないところがあるので,「その内に」ということにして画像だけ保存しておいた。8月になって2回,別々の山域で野菊の仲間に出会った。さすがにそろそろ野菊も勉強しないといけないと思い,ネット検索したり花に詳しい人のサイトを訪れもし,掲示板に書き込みもさせてもらいながら,いろいろ学ばせていただいた。 野菊を調べているうちに,「そういえば『野菊の墓』の野菊は何だったんだろう?」とふと疑問がわいた。 こういうことに詳しい人がいるかも知れないと思い,ある掲示板で,『「野菊の墓」で民子が欲しがった野菊とは何でしょうか』と尋ねてみた。しかし,レスはつかなかった。 こうなれば,自力で調べるしかない。 まずは,『野菊の墓』の読み直しから始まり,百科事典,ネット検索へと移った。インターネットの情報に期待したが駄目だった。告白すると,長年インターネットを積極利用している割には私はネット検索が下手だ。入力するキーワードの組み合わせが悪いのか,うまく目的を達することができないことがよくある。さらに,あまりにも多くのページがヒットすると,最初のほうだけ見て終わってしまうこともある。気力の問題かもしれないが。(^^ゞ 次に,考えたのは,自分で野菊の仲間を勉強して絞込みができないだろうか,ということだった。 『野菊の墓』の舞台はどこだろう。迂闊にも知らなかった。そこで,『野菊の墓』そのものをネット検索すると, 「矢切の渡し」で有名な「矢切村」だ。現在の千葉県松戸市だ。 「関東か…。関東の花にはまるで縁がないな。」と思いながらも,図鑑とネット検索を頼りに調べるしかない。 たまたま四国の花を掲載している高知県の人のサイトを観ていたら,「『野菊の墓』の野菊はノコンギクらしい」というコメントが目に入った。「やった!」と喜ぶ。 早速,ノコンギクを調べる。「ショック!」 小説の一節にこうある。
私の感性はこの描写から白色をイメージさせた。青紫色は受け入れがたい。私にとって民子を喩えるとしたら清楚な白色の野菊だ。それ以外は似合わない。 これが8月の末のことだった。 小説の中に野菊の花期と生育環境のヒントとなる描写がある。
「陰暦の九月十三日」はおそらく10月の下旬ぐらいだろう。そして「銀杏の葉の落ちる」頃と重なる。野菊の花期にこの頃が含まれる種,これが第1条件だ。 次の描写を見てみよう。
この描写から,二人は両側に田んぼが広がっている畦道や今風に言うと農道のようなところを歩いていることが分かる。その道の両端にいろいろな花が咲いているのだ。つまり,両端は田んぼに続いている環境なのだ。 「タウコギ?」聞いたことがない。ネットで検索してみる。花期は8〜10月だ。合致する。「水田の畦や湿地に見られるキク科の一年草。高さ0.3-1.5メートルになる。昔は田んぼのやっかいな雑草としてはびこっていた。」 「湿ったところ」「田んぼのやっかいな雑草」これは特定につながる有力な情報だ。 「水蕎麦蓼」これは今で言うミゾソバ(溝蕎麦)のことだろうか。そうであれば,やはり秋の花で「湿ったところ」を好むようだ。 「都草も黄色く花が見える。」が分からない。都草は春から初夏の花だからだ。今までに出てきた花と花期が矛盾する。 「う〜〜〜ん。」困った。 初夏の花がいくらなんでも10月に咲き残っていることはないだろう。この花だけ矛盾するということは,もしかしたら別種の別名かも知れない。あるいはその地方だけで通じる名前かもしれない。 さらに都草について調べると,「わが国の山野に自生。昔,京都に多く見られたという」とある。それならば,もしかすると,やはり関東の都草とは別種かも知れない可能性がある。 「ほんとに政夫さんの御厄介ですね……そんなにだだを言っては済まないから,ここで待ちましょう。あらア野葡萄(えびづる)があった」という件(くだり)がある。 野葡萄は食用にならないが,「えびずる」は食用になる。実際,この後,民子は野葡萄を食べるのだ。その「えびずる」に対して「野葡萄」という漢字を当てているのだ。別種なのだ。同じことが他の花名で起こっているかもしれない。 これらのことからこの都草も正体は不明だが標準名の都草とは別種と考えよう。そう考えないと花期が半年もずれてしまう。 あらためて,二人が歩いている風景を想像してみると,昔,日本のどこにでもあった里山の風景そのものだ。日本が工業国先進国になる前に存在した原風景だ。
さて,これらの条件から野菊の種類を絞り込もう。 前述したインターネット上の「ノコンギクらしい」というのは,否定できるのではないだろうか。なぜならば,ノコンギクは日当たりのよい乾燥した場所を好むそうだからだ。 「湿ったところ」に咲く野菊となると,関東嫁菜(カントウヨメナ)だろうか。花の色は薄紫というが,ほとんど白に近いものが多いらしい。純白でなくても,これなら私の抱いていたイメージに近い。 ここでもう1つ可能性のある野菊があるのが分かった。インターネットで検索しているときに次のページがヒットした。 http://www.intership.ne.jp/~m.kankou/page/3_yagiri.htm 平成14年に「野菊の墓」の文学碑左側にカントウヨメナ,ノコンギク,ユウガギクが植えられ,右側にはリンドウの苗が植裁された,とある。 「ユウガギク」初めて耳にする花だ。 特徴をまとめると,「山野の日当たりのよいやや湿った草地や道端に生え,花色は普通は白色だが,わずかに淡紫色を帯びるものもある。花期は7〜10月。」となる。ある図鑑には田の畦に群落しているユウガギクの写真が載っている。 「これだ!」と私は確信した。生育環境は小説の描写と合致する。花色もカントウヨメナよりもさらに---私が勝手に抱いているのだが---民子のイメージに合う。 松戸市の文学碑に3種類の野菊を植えたということは,1つに特定できないために可能性の高い3種類を選んだ結果だろうと推測できる。 そのことは十分踏まえた上で,民子欲しがった野菊は「ユウガギク」の可能性が高いと私は結論を下したい。
お 願 い 『ユウガギク』の画像をどなたかプレゼントしていただけないでしょうか。このページに貼りたいのですが,四国では手に入りません。よろしくお願い致します。m(__)m
参 考 資 料 ●『野菊の墓』より引用(1): 「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊,政夫さん,私に半分おくれッたら,私ほんとうに野菊が好き」 ●『野菊の墓』より引用(2): 「こんな美しい花,いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」 |