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伝説の銘機復刻に想う

■2005年正月
2005年1月,ニコンが,福袋あるいはお年玉ということでもないだろうが,新年早々実に胸躍る発表をした。2500台限定だが,往年の銘機<ニコンSP>を復刻するというのだ。

このカメラは一眼レフカメラが主流になる前に使われていた「レンジファインダー」という方式のカメラだ。

■一世を風靡した「レンジファインダー」
ご存じない人のために,「レンジファインダー」について簡単に説明しておこう。「レンジファインダー方式」というのは,レンズと連動して機能する距離計がカメラ内部に備わっており,ファインダー内で2重にズレて見える被写体を1つに重なるように調整することによってピントを合わせる仕組みだ。日本語では「距離計連動式」とも言われる。中高年以上の多くの人が一度は使ったことがあるのではないだろうか。

このタイプのカメラでもっともよく知られているのは「ライカ」だろう。昔,国内メーカーはライカを手に入れてその仕組みを研究して数々の国産レンジファイダー式カメラを世に送り出してきたと聞いている。

■ニコンの挑戦
ニコンは,おそらくは当時世界一と称えられていたライカM3を目標にこのカメラを開発し,ようやく1957年に発売に至り65年まで製造した。28ミリの広角から望遠135ミリに対応するファインダーを装備したために,技術の粋を集めた大変複雑で精巧な精密部品の塊のようになったそうだ。「レンジファインダー方式」カメラの最高峰と称され,熱烈なハイアマチュア写真家や職業写真家に愛された銘機として知られた。写真界の大御所である木村伊兵衛氏や土門拳氏も愛用したそうだ。今もなお時折カメラ雑誌などで幻の銘機として紹介されることがある。

■伝説の銘機…ニコンSP復刻
話を現代に戻そう。今や,フィルムカメラに取って代わりデジタルカメラが主流となろうとしている。オートフォーカスの一眼レフカメラが主流となった頃より,ある種の懐古趣味であろうが,レンジファインダー方式カメラの復刻や新製品が発表されてきた。その都度,心を動かされたものだ。今回の銘機復刻もそういう流れの延長線上にある象徴的な出来事のように思える。つまり,デジタル化の大きなうねりがこの懐古趣味を増幅させた結果がこのニコンSPの復刻ではないだろうか,と思うのだ。

こんなことを書いているとNikon製カメラ愛好家と思われるだろうが,実は私はコンパクトカメラも含めてニコンのカメラはどういう訳か一台も使ったことがない。だからと言って,決してアンチNikonではない。たまたまそういうことなのだ。にもかかわらず,私は冒頭で「胸躍る」と書いた。

本当に胸躍るのだ。まさか,希望小売価格72万4500円のカメラを一庶民である私が買えるはずもない。宝くじでも当たればコレクションとしてぜひとも買いたいが。ニコンファンでもなく,経済的余裕もないのに,なぜに「胸躍る」のだろうか?それはこの復刻ニコンSPが単なる往年のカメラだからではなく,機械式,それも職人芸が詰め込まれた飛び切りの『精密機器』だからだ。

■機械好き
子供の頃に思いを馳せる。どこの家にもゼンマイ仕掛けの柱時計があった。何かの機会に時計の中を見ることがあった。無数の歯車とゼンマイがあった。「生きている!」と思ったような記憶がある。真鋳であろうか,黄色味を帯びた金属の箱状になった時計の心臓部に神秘を見たような思いだった。ある時,納戸にあった壊れた柱時計をおもちゃ代わりにもらったことがある。夢中になって分解したのは言うまでもない。

こういう子供は大人になっても機械好きになるものだ。私は文系だったので作るほうではなく使う側として機械好きになった。

■嗚呼,ライカ!
実は,私はライカを一台所有している。もちろんレンジファインダーだ。M6とレンズ3本が防湿庫の中に鎮座している。手に入れたのはバブル華やかなりし頃だ。購入するかどうか何週間も悩んだ結果,「ライカを使ったことがなければ死ぬときに絶対に後悔する」と思って清水の舞台から飛び降りた。

人様には大げさに聞こえるだろうが,私は何かの判断に迷ったら,「これをしなくても死ぬときに後悔しないだろうか」と考える習慣がある。「今,ライカを買わなかったら後悔する」とその時に思った。そしてそれは今考えると正解であった。デジタル1眼レフを欲しいと思って結局買えないでいる今の私にライカを買う余裕はない。(余談だが,デジタル1眼レフは2004年末に身内から貰い受けた。)

ライカを購入した当時,私の被写体の90%が「山」だった。アマチュアとはいえ山岳写真を志す写真家にとって,レンジファインダーカメラという選択肢は普通は考えられない。そういう状況でライカを買うのには勇気が必要だった。なぜにそれほどライカを欲しいと思うようになったのか。

それにはきっかけがある。私の写真の師匠である写真館のご主人とレンズの描写性について話をしていたときのことだ。「ライカのレンズの中に絞り開放でとても面白い描写をするレンズがある」と知った。「山」以外の分野では,「開放バカ」と言われるくらい開放絞り付近の「ボケ」を生かした撮影に常々興味があった私は話を聞いているうちにとても欲しくなった。

なんとご主人がM3をそのレンズ付きで貸してくれると言う。もちろん,試し撮りをするためだ。高価なカメラを借りることには万が一のときのことを考えると不安があった。しかし,貸すことなど何でもないことのようにしきりに勧めてくれるので有り難く借り受けることにした。2〜3日の間に,ネガフィルム1本分を試し撮りして結果を見てみた。なるほど,絞り開放〜2分の1絞ったあたりで実に特異な描写をすることが実感として分かった。「使用頻度は少ない。それでもライカが欲しい。このレンズを使ってみたい。」と情緒が理性に打ち勝った瞬間だった。

■写真を撮るという儀式
その数週間後にはライカM6と件のレンズを手に入れていた。その後,2本のレンズを追加購入して,レンズの組み合わせの王道である広角・標準・中望遠を完成させた。

私が主にライカを持って出かけるのは「作品を創ろう」などと気負いのない自然体のときだ。例えば,桜の時期に近場に家族と散歩に出かけて「カシャ」と記念撮影する。家族で旅行に行くときにも撮影重視でなければライカだけを持って行く。九州の黒川温泉に行ったときもそうだった。風情のある温泉場には「重装備」は似つかわしくないように思うのは私だけだろうか。

何気なくライカを肩からぶら下げて散歩をするように名所・旧跡を歩いてみるのも乙なものだ。ライカを構えるとずっしりとした重厚さを手のひらに感じる。光を読み,絞りとシャッター速度を決める。レバーを動かしてピントを合わせ,おもむろにシャッターを切る。機械式シャッター音が郷愁さえ感じる余韻を残す。(この余韻は,昔,映画館で聞いた高級ライター「ダンヒル」の蓋を開けたときの音と同種類のものだ。)次の撮影のためにフィルムを巻き上げる。フィルムが巻かれる感触がしっかりと親指に伝わってくる。全て手動だ。この一連の動作がまさに「写真を撮る」という『儀式』だったのだ。もしかすると,ニコンSPの復刻に「胸躍る」感がしたのは,詰まるところはこの儀式ゆえだったのかも知れない。

■銘機復刻に賞賛あれ!
『復刻ニコンSP』を幸運にも手に入れた方もまた同様にこの『儀式』に静かな興奮を覚えることだろう。もしかすると,昔のレンズも欲しくなるかもしれない。そして,レンズの味を楽しみながらこの儀式を至福の時とするに違いない。復刻ニコンSPオーナーに祝福あれ!

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